渡辺浩二設計室 のブログ

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今日は1月17日、20年前の1995年に阪神淡路大震災がおこった日です。
個人的な話で申し訳ないのですが、20年前の今日、私が体験したことについて書かせてください。


連休を利用して学生時代の友人を訪ね、私は前日の夜から三宮にいて、この日のうちに山陰に戻る予定でした。地震発生の少し前になぜか目が覚めて、弱い揺れの後、すぐに激しい揺れを感じました。揺れが収まるまでのあいだ、上階が崩れ落ちてくるかもしれない恐怖感に襲われながら、フライパンの上の煎り豆のように宿泊先のベッドの上をはね飛ばされるまま、何もできずにいました。外からは物が激しく壊れるときの音が聴こえていて、なにかとても大きな爆発が起こったのかもしれないとも思いました。


揺れが収まった後、気象庁の発表とエレベーターが動かないことを知らせる館内放送を聴いてから、非常階段を経由して10階から1階ロビーまで避難したのですが、どうやってロビーまでたどり着いたのか、そのあいだの記憶があやふやで、途中、余震の揺れで階段から落ちそうになったり、将棋倒しになりかけたようにも思えるのですが、あれが現実だったのか、よくわからないままです。ベッド沿いの壁に掛けてあった洋画が、落下防止の命綱の紐で壁から吊りさがって落ちてこなかったことは、何故だかとてもよく憶えています。


陽が登り明るくなって外に出ると、近くのビルは通りに向かって倒れ、もともと泊まる予定だったカプセルホテルは倒壊していました。高架の線路が崩れ落ちて、前の晩に行った中華料理のお店は、めちゃめちゃに壊れていました。ガス爆発の音と消防車と救急車のサイレンが、絶えずどこからか聞こえていました。ラジオから最初に聞いた、亡くなられた方の数は150人で、発表のたびに増えてゆきました。眠れない夜から朝のあいだ、余震で揺れるたびにラジオから聴こえた、アナウンサーさんの「頑張りましょう」と励ましてくださった声は、後で知ったのですが、床が崩れたスタジオから、倒壊の危険と隣り合わせの放送だったそうです。


多くの方が亡くなり、怪我を負い、その後の世の中の雰囲気を変えてしまうような大きな災害に対して、私などがいったいどんなふうに関わってゆけばよいのか、20年前からずっと問われているように感じています。生きているあいだそうやってずっと問われ続けることが、私に唯一できることなのではないかとも考えています。20年はひと区切りではなくて、明日は震災から20年と一日経った日で、あさっては20年と二日です。


あらためて、震災で亡くなられた方々の御霊が安らかであられることを、深く祈ります。